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名古屋「金山」の街を、人を、文化を、掘り起こし、思考するためのニューメディア&プロジェクト。「MINED&MIND」
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【かなやまじんくらぶ】「かなやまの達人」①田邊雅彦さん(金山商店街振興組合理事長)
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【かなやまじんくらぶ】「かなやまの達人」①田邊雅彦さん(金山商店街振興組合理事長)
Author: Mined & Mind 編集部
Date: 2025 09/30

金山のまちを知るために、まちの方々にお話しを聞く「かなやまの達人」インタビュー。

記念すべき第1回は、金山総合駅にほど近い沢上交差点近くで生まれ育ち、金山のまちづくりのキーパーソンである田邊さん。近辺の地図を見ながら、かなやまじんくらぶメンバーがじっくりお話をうかがいました。

※本記事は2024年度アートリンク金山「かなやまじんくらぶ」の活動にて行ったインタビューを転載しています※

▼「かなやまじんくらぶ」で制作したZINEのページ(ZINEの全ページはこちらからご覧いただけます)





 

今回の達人:田邊雅彦さん(金山商店街振興組合理事長) 

聞いたひと:かなやまじんくらぶ(服部浩之、嶋崎出、山口麻加、河部圭佑) 

      クリエイティブ・リンク・ナゴヤ(佐藤友美、谷口裕子、半田萌) 

聞いた日と場所 :2024年7月3日 田邊さんのオフィス 

 


 

 

 

■田邊さんはアート好き! 

現代美術が基本好きです。漫画とかが好きなつながりで美術も好きだったんだけど、絵を見ててもさっぱりわからん時期があったんで、描いてみれば多少わかるかなと思って、日本画を習っていたときもありました。20代から30代の頃ですね。 

 

■田邊さんのルーツと子どものころ 

うちの会社は50年くらい前に創立して、父が1代目で自分で2代目です。母が波寄町の出身で、父が岐阜の山奥から出てきて、一緒になって。ここが母の家族の土地で、結婚したので譲ってもらった。そこで父が電気工事の会社を興して、当時の3倍か4倍にどんどん広げていったんです。だから自分はほとんどここで育ちました。 

ここらへんは僕の子どものころは、まだアスファルトが敷かれてなくて砂利道だったんですよね。当時、車が走ると、砂煙がでてもう…。隣のおばあちゃんがおっぱい半分出してうろうろしてるようなところでした。 

今、この北側がコインパーキングになってますけど、昔からここは駐車場だったんです。屋根の上によく上がって遊んでたんですけど、隣のおっちゃんに何度か怒られた記憶がありますね。危ないね。でも、そういうスリルが楽しかったですね。泥まみれになって本当に鼻水垂らしてパンツ一丁で走り回ってた。昔は今ほど暑くなくて夏も30度なんていうのが珍しい時代だったので遊びやすかったし 

行動範囲は、小学校の頃は学区ですよね。大津通と国道19号線、高蔵小学校までの間かな、ちょっと足伸ばして波寄みたいな。ここらへんはちょうど熱田区と中区の区境だけど、なかなか北側(中区側)の友達はいなかったですよ。 

 

■鉄鋼の街、金山・沢上界隈 

八熊通から南側は熱田神宮の関係で鉄工所が多かったんです。昭和20年代30年代は鉄工所だらけでした。鉄工所が多いのは金山神社がもともと鉄鋼の関係の神様で、歴史をひも解いていくとつながりが出てくる。 

鉄工所が多かったから銀行も多かったんです。隣は愛知信用金庫、交差点角は現在、瀬戸信用金庫になってますけど、その昔は三和銀行だったかな岡崎信用金庫、十六銀行、ちょっといくと中京銀行、名古屋銀行で今はいわば銀行通りですが、昔は鉄鋼通りでした。工業の街だから服装もみんな作業服で、飲食店も多いしヤクザもいた。鉄工所も今はほとんどなくなりました。南側(熱田区側)はあとは住居ですね。 

北側はもともと住居が多くて、名古屋市民会館ができる前は名古屋市の体育館でした。 

 

 

■市電と「沢上」 

目の前の八熊通と大津通には市電が走ってまして、ライオンズマンションの建っているところが沢上車庫でした。ただ僕のイメージでは、市電は花電車しかあんまり記憶ないんです。電車の周りにいっぱい、花の飾り付けをするんです。きれいで可愛く、それがずっと走っていく花電車。 

当時金山って言っても誰もピンと来なくて、地元の人たちは沢上っていう方が知名度があった。すぐ南にも沢上市場っていう昔ながらの市場もあったんですが、そういうのも廃れてきて、沢上商店街もなくなっちゃったし、時代によって街も変わってきたのかなと思います。 

 

■熱田神宮と熱田台地 

やっぱり皆さん、熱田神宮に近いところっていう感覚があるでしょう。より神宮さんに近いところがご利益もあるって意識もあるだろうし。ここは熱田台地の上なんですね。極端に言うと、名古屋城から熱田神宮までのある程度の幅を超えると富士山型というか、堀川、新堀川だから。もう25年前かな、東海豪雨のときはこの辺はほとんど、影響はなかった。ここから下は大変な洪水になりましたが。 

昔は熱田神宮から南、西はほとんど海で、波寄町はその名の通り波が寄せてたんです。本当に古代の話だとは思うんですけど、それぐらい海には近かったところということですよね。七里の渡しが神宮の南にありますけど、東海道も七里の渡しから桑名に船で渡っていくしかないって時代がありましたからね。だから、地元の人は七里の渡しを公園にして大事にして、6月にはいまも熱田まつりで花火があがりますよね。 

ここらへんはお寺や神社がむちゃくちゃ多くて、7080あります。観聴寺もそうですし、徒歩圏内でいくつあるんだろうっていうぐらい。個人で祀ってるのも多いですよね、ちっちゃい鳥居作って。特に鉄工所の関係とか昔からの会社は自分のとこで祀ってるところもあるし、そういう意味では信仰深い方々がもともと多かったのかなと思います。 

 

■昔は駅はバラバラだった! 

昭和30年くらいから写真やデータがはっきりしてるんですけど、いまの総合駅のあたりは昔はなにもなかったんです。地下鉄と名鉄、国鉄は中央線しか止まらなくてバラバラの駅でした。1989年に金山総合駅を作った時にJR東海道本線も駅ができたんです。それまでは名鉄の線路沿いの坂道を降りて熱田の方に行く、その途中に名鉄金山駅があった。その坂道にいろんなお店がいっぱいあって賑わってたんです。で、駅の前には波寄商店街っていうのがあった。そこも小学校の学区内だったので友達が至る所にいて、よく歩いてました。 

 

幻の近鉄金山駅 

大津通に、僕が生まれたときにすでに近鉄特急の看板があったんです、駅がないのに。昔から近鉄は金山に出てきたかったんです。そのために看板をずっと金山に掲げてたんですね。1999年に計画された線路図にも近鉄が戸田から入るよっていうのが計画図に入ってるんです。近鉄は、それだけ金山という所を昔から魅力的な場所だと思っていたんですね。ところがやっぱり名古屋は昔から地元の財界が強いから…。 

 

 

■金山南ビルと名古屋ボストン美術館 

1999年に名古屋ボストン美術館ができたときはセンセーショナルな感じでしたよ。当時はこの金山商店街も、もう、わき上がって盛り上がって。美術館ができて人が来ると。でもこちら南側、沢上側は基本的には変わってないです。このビルなんかももう50年です。名古屋市の金山再開発は市民会館やアスナルですし。再開発もこれから10年20年、どれくらいかかるか分からないですけど。 

 

■金山―名古屋駅―栄のトライアングル 

金山地元民としては、金山、名古屋駅、栄の名古屋を俯瞰的に見たときのトライアングルを作りたい。名古屋市も、名古屋駅から栄まで人通りをよくするというかいろいろ発展させてますけど、私はそこに金山を加えてトライアングルのその地域の中で活性化を図っていけば、名古屋がよりもっと面白い街になるんじゃないかなと常々思っています。 

 

■地域の変化と金山のこれから 

ここらへんは高蔵小学校の学区ですが、1学年が僕の母の時代だと6クラス、僕の時代は50年前で4クラス、今はギリギリ2クラスです。子ども会もなくなってきています。 

町内会も町内会長をやってくれる人がいない。自分が住んでるところに対する思いが、皆さん薄らいできたのかなっていうふうに思います。良い悪いは別にして、地元のお祭りとかがなくなってきたということにもつながってるんじゃないかと思います。当事者としては嫌ですよね。仕事も行って家庭もあって、自分の時間、土日割いて、そんな皆さんのために街のためになんで俺がやらなかんっていう気持ちも分かるんですけど。それで、町内会がこの高蔵学区内でも二つなくなってるんです。 

古い家はどんどんなくなって、マンションや若い人向けの新興住宅が建って。でも新しい人が入ってきてることで、そこで交流を持たなければ町もできていかないし、町内会も育たないし。人間同士という部分での絡みがうまくいかないと町そのものが衰退はしなくても、なんかおかしな方向に行っちゃうんじゃないかなっていう気はしてます。 

私も自分の生まれ育った場所、土地ってやっぱり愛着があって。それとまちづくりは楽しくて、面白くて夢があるんですけど、実際やろうと思ったら、新しい住民のひとたちも含めて、人間関係をどういうふうに構築して、どうやって打ち解けて妥協点を出すかが一つの糸口、解決なんじゃないかな、と、いつも思っています。 

 

文章構成:佐藤友美 撮影:渡邊裕美 

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