




金山の街のリサーチをして、ZINEを制作する市民参加型アートプロジェクト「かなやまじんくらぶ」。
まちのことを知るためにはそのまちを深く知る人に話を聞くのが一番!ということで、チームに分かれて金山のキーパーソンを尋ねてお話を聞いてきました。
※本インタビューは各チームがZINEとしてデザインしたものを一部編集し掲載しています※
▼「かなやまじんくらぶ」で制作したZINEのページ(ZINEの全ページはこちらからご覧いただけます)
取材日:2025年8月31日
取材メンバー:尾関和裕、巽周太、的場仁利、渡部将之
金山。圏内のどこに転勤になっても通勤しやすいよう引っ越してきた。住んではいるけれど、あまり知らない。もっと金山のことを知りたい。そんな時、金山のまちを巡って手づくり新聞を作ろうというチラシを発見した。しかも、取材先はごく近所のMr. Kenny’s。日々どんな思いでこのまちで営業しているのだろうと考えつつ、待ち合わせの金山駅北のデニーズからケニーズへと取材に向かった。
一番最初はマスターがサラリーマンをやりながら豊明で始めました。東新町でもちょっとやった後、金山に移ってきてからは私も一緒に。再来年で25周年です。ここは最初は今の半分ほどの広さで20人ぐらいでいっぱいだったんです。でも。ビッグバンドをやることがマスターの夢だった。そうしたら、震災の頃に隣の美容院がなくなって。大変な時でしたから皆に反対されたんですけど、マスターは「いや!広げる!」って。
今までは3月にビッグバンドフェスティバルをやっていたんですけど、最近は9月にもやっています。とてもいいので、ぜひ観に来てください。あと、11月29日は、いい肉の日でローストビーフ食べ放題。私の誕生日なのに焼きっぱなし!
普段は50~60人が集まる「Mr. Kenny’s」だが2020年1月から発出したコロナ禍で客数は10人程度にまで激減し、経営的に非常に厳しい時期が続いた。
しかしオーナーの倉谷さんは「私にそって店は生き物、ピアノも生きてるんですよ」という強い思いから赤字を覚悟の上で店を開け続けた。
当時名古屋で営業を続けていたライブハウスがほとんどなかったため、演奏の場を失ったミュージシャンから非常に感謝され、酒類の提供が禁止されていても音楽を聴きに来る常連客に支えられた。
コロナ後も客足は100%は戻っていないが一方で、最近1~2年で新しい客層やインバウンドの客も少しずつ増えている。演者も16歳の高校生ドラマーや20代のサックス演奏者など、この店で上の世代の演奏を見て育った若い才能も多く輩出しており,名古屋だけでなく東京、関西、鹿児島など全国各地からミュージシャンが集まり、世代を超えた繋がりが生まれている。
倉谷オーナーの夫でありミュージシャンの倉谷“Kenny”明さんは2021年3月にお亡くなりになった。多くのミュージシャンを輩出し、夢を叶え、追い続けたケニーさんの想いは「Mr. Kenny’s」で今も生きている。
クールな大人が集うジャムセッションに潜入
出演者の方に恐る恐る「即興」について質問してみた。『理論もあるんだけれど、簡単に言うとジャズはよく演奏される曲が決まっていて…その後でフリーで演奏するんだよ。君もスタンダードから好きな曲を見つけるといいよ』と気さくに教えていただけた。
Mr. Kenny’sの創業者・倉谷明さんの野望の一つは「Mr. Kenny’sでビッグバンドのライブをやる」ことだった。それはお店の長い歴史の中で実現することとなった。そして、もう一つの夢は「金山でジャズフェスを開く」ことだった。
金山は意外に音楽が身近な街だ。駅北の市民会館は名フィルの本拠地で定期公演を行うし、南口では流しの演奏家が好き勝手に演奏する。かつては電光掲示板あたりから Graham Central Stationの“Pow”がかすかに流れていた。交通の要所とされるこの街は、実は音楽にまみれているのだ。
金山とジャズフェス。奇抜に思えて、私は成功する気がしてならない。予算や場所の確保、アーティストの調整など、考えるべきことは多いが、その土壌はすでに整っているのではないだろうか。
“ジャズクラブ”という単語ほど敷居の高いものはない。それなりの作法やルールを求められる気がしてしまう。しかしお店でオーナーからお話を伺うと考えすぎだとすぐに分かった。弾けなくても聴けばいいし、聴いて分からなければ食事を楽しめばいい。アプローチの方法がいろいろあるのも何ともジャズらしさを感じた。